我が家の軌跡(奇跡)【9】
昭和33年12月、78万円で関屋田町の家を購入。
世の人々は師走で忙しい最中の12月半ばに引っ越しをした。
藤田家(父の実妹)に2/3の荷物を預けて置いたのも取り寄せてやっと我が家に落ち着いたのは、年も明けてからだった。
父は相変わらず我儘で病院食は食べてくれない為、母は毎日食事を作って、妹を背負い、私の手を引いて新大病院まで通う日が続いた。
付き添いさんが常にいたが、母にその人の文句をいつもブツブツ言う。
食事を運ぶだけではなく、便を出すのとカテーテル交換は看護婦さんにも付き添いさんにもさせないという我儘が新大病院へ移るとから始まった。 母はまた毎日病院通いを強いられた。
ヒーちゃんはバス通いのせいか、ひきつけを起こす回数が増すようになったが、それでも父は自分の事の方を優先していた。
佐渡から祖父が時々来てヒーちゃんの守をしてくれたが、泣き出すとおじいちゃんの背中より母親の背中の方が良いらしく泣き止まないので、仕方なくまた母が背負って病院へ行く。
住む家が出来、落ち着いた頃、父はどうしても退院したいと言い出した。
主治医は家で二人の病人の看病は大変だから労災病院へ移した方が良いのではないかと、母の体のことを心配して再三忠告をしてくれたが、周りの反対を押しきってとうとう父は二月に退院、家に帰って来た。
こうして、父の家庭療養生活が始まった。
つづく
次回は 新しい家の様子、家探しの裏話です
2018年5月9日 (水)
カテゴリー: こばやし明美先生ブログ