母は箱入り娘【7】
私達の住居の五衛ムには、おじいさんとおばさん、千秋さん、大分経ってから六つ違いの弟の勝男ちゃんが生まれた。
始めの間、一人っ子だった千秋さんのガキ大将振りは大変なものだった。
私より四歳年下で、それこそ着物の前をはだけて棒を振り回して遊びまわり、よくおばさんに叱られていた。
父親は庄屋の若旦那よろしく遊び人で家に時々帰って来るだけで、両津方面に二号さんと男の子1人と一緒に住んでいる方が多く、家の仕事は全然しなかった。
隣が藤蔵と言う家でこの家も男の子三人、一番下の子が私より一年上で了と言う。 頭は良く、手先が器用で暇さえあると、蔵の前で何かを作っていた。
舟を作る事が多かったようで、たまに行って感心して見ていたが、その当時は男の子と女の子が遊ぶ時代ではなかったから、あまり話した事がなかったが、時々、母と家の中に入ってご馳走になった。
右前に作次郎と言う家があり、そこの家に居た三男(三郎)に良くいじめられた。
親が叱ると、”だってすぐ泣くから面白いんだ”と言ったらしい。
その家の囲炉裏に大きな鉄なべをかけて、毎朝火を燃やしながら煮たおかゆがとても美味しく、良くご馳走になっし、時々お風呂を使わせて貰った覚えがある。
そこのおばさんと母は気が合っていたのか何かを作る時は良く一緒になって作っていた。
お節句の団子とか、おはぎとか。
【つづく】つぎも日常のはなしです。
2018年7月7日 (土)
カテゴリー: こばやし明美先生ブログ