母は箱入り娘【9】
年に一回、文房具を担いで来る行商の、品の良いおじさんがいた。両津の山と言うお店のおじさん。母は欲しい物があると、その頃は電話がないから、手紙で注文してよく持って来てもらった。
お陰様で辺鄙ながらもあまり不自由していなかった。母は縫い物を頼まれて、着物、襦袢、帯などを縫っていたから、糸や針などを、そして私達の文房具などを注文していた。
母の縫い物の報酬は、お米、野菜、魚、卵などだった。
当時卵は超高級品で、ニワトリを飼っている家の子供でも一家の収入源なので口にする事は出来なかったから、私達も戴いた時とか、病気の時以外はあまり食べた事はなかった。
ただ私は、三歳の時にハシカをして以来、腺病質で、好き嫌いが多く、ガリガリに痩せていたので、頻繁に食べさせて貰っていた。
つづく
次は 腺病質の母の小学生時代です
2018年7月9日 (月)
カテゴリー: こばやし明美先生ブログ