我が家の軌跡(奇跡)【15】
父が自宅療養になってから、四人家族の内、二人が障害者と言う不思議な家庭が誕生。
心付いた時にはもうそうであったので、何の不思議もなかった。
ただ、不思議なのは、父も母もずっと家にいる。
働いていないと言う事。
なのに特別貧困と思った事はなく、むしろテレビはあるし、水冷式のクーラーはある。 一見裕福そうであった。でも明美は不満だった。
何故って一人だけ時間には家を出て学校に行き、帰って来ては宿題をやり、テレビは決まったものしか見せてもらえず、大人っていいなぁ、早く大人になりたい。と思ってたから。
父は、病人とはいえ、決して大人しく、しおらしい、病人らしい病人ではなかった。 病人とはいえ、威厳があった。
母が父の手足となり、甲斐甲斐しく世話をし、父親として、大黒柱として一目おき、常に母は父を立てていた。
父としての存在感は充分あった。それどころか亭主関白だった。
そうなるまでには父の、母の努力があった。
当時、脊髄損傷患者は家族に見放され、そう長くは生きられないとされていた。 しかし母は父を見捨てなかった。
ここに母の“案ずるより産むが安し”と言うおおらかな性格が、父をそして我が家を助けたのだと思う。 つづく
2018年5月15日 (火)
カテゴリー: こばやし明美先生ブログ