我が家の軌跡(奇跡)【19】
父は、それはそれは怖い存在であった。
明美は子供の頃から立ち居振舞いをじっとベッドの上から監視され、注意された。
気に入らないと、動けない父は枕元の鉛筆立て(はさみ、金やすり、千枚通しなども入っていた)を明美めがけて投げつけた。
時には母に“明美を連れて来い!”と怒鳴った。
母は捕まえたり、見逃したり適当にあしらったようだ。
明美は逃げるが勝ちなので一目散に、二階の貸部屋へつづく階段まで逃げた。
が、殆んどはちゃんと父の胸元まで乗せられ、お尻をビシャンと叩かれた。
父の気がすむならと。
幻覚痛が強い時に、ベッドに触れると怒られ、お煎餅のような音の出る物を食べると怒られ、
足音をたてて歩くと怒られ、大きな声を出しては怒られ、勿論、歌なんてとんでもないことで、
小学生の低学年の頃、大声で歌っていたら、父は母に“あんな音痴、歌うのを止めさせろ!”と言い、
母に注意されてから、明美はもう音痴だから、人前では決して歌ってはいけないと思うようになり、
音楽の授業が苦痛になっていた。
大人になってから聞いた話では、丁度その時、父は激痛に耐えながらあぶら汗をかき、歯を食い縛っていたのだそうだ。
相当イラついたに違いないが、子供にとってはかなりのショックで、今で言うトラウマなのだろう。
お陰で今でも歌えない。(父はとても歌が上手だったのにね)
【つづく】次は父の生活の苦労話
2018年5月19日 (土)
カテゴリー: こばやし明美先生ブログ