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我が家の軌跡(奇跡)【26】

2018年5月26日 (土)

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母は、家が倒れたら危ないと思い、ヒーちゃんを抱き抱え、外に出た。
道にヒーちゃんを避難させようと思ったから。

ところが、玄関を出た途端、母がヒーちゃんを置こうと思っていた道路の真ん中が、盛り上がったと思ったら、次の瞬間、ズルズルと足元まで引いてきて、割れ目から水が溢れ出し、あっと言う間に膝まで来てしまった。
慌てて、母はヒーちゃんを抱いたまま父の元に戻った。

父はベッドの上で揺れ動き、天上、壁が落ちて来る中、とうとう水がベッドぎりぎりまで来た時、ヒーちゃんを連れて逃げろ!俺は動けない、お前達だけでも助かってくれ!と叫んだそうだ。
でも母には出来なかった。

外に出て母が出せる精一杯の大声で「助けて下さい!動けない病人がいます。」と叫んだ。
だけど誰も来てくれない。
母が諦めかけた頃、近所の若い男の人が二人来てくれた。
そして、謙二兄(従兄の父)も来てくれた。
家の前の道路は地割れしてマンホールが割れ、床上まで浸水していたため、棒で突っつきながら来てくれた。

みんなで、父を抱え、母はヒーちゃんをおんぶして、浸水していない所に置いた車に乗り、伯父の家に避難した。
伯父の小さな車によく父が、そして、母、妹が乗れたなぁと思ったが、みんな必死だったに違いない。

同じ新潟市内でも、学校町通りを境に海側の地域と、信濃川までの地域とで被害が全然違った。
昭和町の伯父の家は何の被害もなかった。 学校町通りから、関屋田町までゆるやかな下り坂になっていて、田町は田んぼの埋め立て地だったと思う。
下水用のマンホールの埋め立て工事が終わったばかりなのに。

家から歩いて15分位の所にある川岸町県営アパートは何棟か傾き、一棟は土台から倒れてしまった。
県営アパートは、学校町通りと平行してある白山通り沿いにあった。
震源地に近い川沿いにあったため、液状化現象による被害だった。

丁度、前日は父の実母が亡くなり葬儀のため、親戚が佐渡が島に集まっていた。
母も行っていたが、葬儀が終わると直ぐ帰って来ていた。 新潟市在住の者も帰っていた。
つまり、謙二兄も帰っていた。
佐渡に残ったのは埼玉から一家で来ていた、父の一番下の妹一家。
(稲垣一家。後々までこの一家にはお世話になる。)だった。
東京の方では佐渡が島は沈んだと噂されていたそうだ。
通信が途絶えていたからかな。

昭和39年は新潟国体の年で、開催に合わせて新しく昭和大橋が作られた。
国体閉会の五日後に地震で見事、橋桁が倒れてしまった。
競技が行われた競技場も、液状化現象の被害を受けていた。

古くからある万代橋は無事、古い木造の学校も被害が少なく、新しく建てた鉄筋コンクリート建ての校舎の被害が大きかった。
我が関屋小学校も木造の古い学校だったが校舎は壁土が落ちた位、体育館が少し傾いただけで大丈夫だった。

【つづく】 次も地震の話


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