我が家の軌跡(奇跡)【31】
様々な人に助けられ、車で一家四人、無事相模原の相武台団地というマンモス団地に引越した。
6畳二間、4.5畳一間、ダイニングキッチン、サンルーム、バストイレ付、一階に落ち着いた。
最初は、サンルームにやぐらを組んで、洋式のバスタブを据え、すぐ隣の和室にバスタブと平行に父のベッドを置き、その部屋が我が家の居間になった。
隣に続く6畳の和室が母と妹の部屋で、お隣さんとの堺が押し入れになっていた。
明美は玄関を入ってすぐの4.5畳を与えられた。
団地で、母は思いも寄らぬ肩身の狭い思いをする事になった。
妹は夜、昼を取り違えていた。
日中は大人しくお布団に寝ているが、夜になると活動的になり、部屋の中を歩き回ったり、機嫌の良い時はニコニコ笑いながら、時には奇声を発しながらピョンピョン跳んでいる。
押し入れの戸に張り付いてお尻で、ドンドン叩き、音を楽しんでいる。
ある日母はお隣さんから、「お宅ではないと思うのですが、踊りの練習でもしているのか。トントン音が聞こえませんか?」と聞かれた。
恐らく、うちだと分かっていての抗議だと思われた。
母はきちんと妹の事を隠さずに説明した。にも関わらず。
「いいえ、お宅に文句言ってるんじゃないですよ、お宅にも聞こえているかと思って」と言われたそうだ。 母は憤慨していた。
都会の人は言い方が遠回しで、柔らかいけど、お体裁作って。煩いなら煩いって言えばいいのに。と。
団地ではこの子はダメだ。人様に迷惑がかかるし、肩身の狭い思いをすると。
これを機に郊外の、周りにあまり家がない土地を探し始めた。
【つづく】
2018年5月31日 (木)
カテゴリー: こばやし明美先生ブログ