我が家の軌跡(奇跡)【34】
その頃には相模原市由野台にある淵野辺キャンプ場(今の JAXA 宇宙科学研究所 相模原キャンパス)という米軍キャンプの正門前に土地を見付け、両親は頑張って一軒家を建てた。
父の設計によるもので、妹と父の部屋から入れるような位置にお風呂場があるという変わった造り。
新潟に引き続き、池にこだわり、大きな石で猫返しを造り、鯉を一杯泳がせる魂胆をしていた。
建築中は父に代わり母が建築現場に足を運び、工程を父に見せるために写真を撮っていた。
店舗付きにし、障害者に与えられるタバコ販売権を利用して、タバコ、文房具、お菓子などを売る雑貨店を開いた。
お嬢様育ちの母が初めて商人となったのである。そして父も。
父のベッドは店番が出来るように置かれていた。お店に続く部屋は引き戸と、マジックミラーで、仕切られていて、部屋からお店が見えるようになっていた。
父は引き戸の方に頭が来るようにし、顔と手が出せる位の隙間に戸をあけて、父の店番が始まった。
つづく
2018年6月4日 (月)
カテゴリー: こばやし明美先生ブログ