こばやしブログ一覧
鬼怒沼に行って来ました。
7/17 朝6:39 下今市発で鬼怒川温泉駅下車 7:35発夫婦淵行き市営バスに乗り換え終点まで約一間40分。 そこからは迎えのバスに乗り加仁湯に到着。登山の準備をしていざ出発。時計を見ると10:05 日頃運動していないので 、途中何度止めようかと思った事か。やっとの思いでオロオソロシの滝が …
母は箱入り娘【14】
2018年7月14日 (土)
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月二回、親から帰省願が届くと土曜午後、洗濯物とか持って親元へ帰る事が出来る。 どうゆう訳か私はいつも両手いっぱい何を入れて帰ったか思い出せない。 時折、好物をいっぱい食べ、日曜日夕方、寄宿舎に帰る時は煮魚、玉子焼き等の好物を持ち帰る。 舎監の先生に見付かると没収されるので寄宿舎の玄関に入る時は中を窺い乍、走り、入室する。 寄宿舎の食事はひどいもの …
母は箱入り娘【13】
2018年7月13日 (金)
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姉は六年生卒業と同時に植田屋で生活する様になった。沼垂の高等科に通い、家庭教師について勉強をみっちりやり、私立女学校へ入学。 植田屋を手伝い乍、学校に通い、卒業してからも植田屋を手伝っていた。 私も六年生の一学期から植田屋へやられ、礎小学校に通った。 小さな学校から急に大きな、生徒の多い学校に、野浦では優等生でも、礎小学校ではただ面食らってだんだん成績 …
母は箱入り娘【12】
2018年7月12日 (木)
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明夫兄さんは良く海へ魚釣りに行き、始めの内は珍しい事もあって姉とくっついて歩いていたが、私はだんだん嫌いになり、少しずつ離れていった。 とにかく脇が臭かったし、痔で夏休みに新潟大学病院で手術をしたり、蓄膿症で河原田の至誠堂耳鼻咽喉科で手術と、あらゆる病気持参で来たので、貧乏世帯には負担が多く、毎月母は、゛主婦の友″と家庭雑誌は取るのを止め、針仕事に精を出し …
母は箱入り娘【11】
2018年7月11日 (水)
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確か私が新年度から三年生と言う時だったと思う。 家族が1人増えた。それが明夫だった。(明美の未来の父) これからは兄さんと言え。小学校の校長先生だった父が、家庭の事情で中学にも行けない向学心に燃えた13歳の少年を養子として引き取ったのである。 休みの間中、家に居て一緒に遊んでくれた。 一番喜んだのは千秋さんだったようでお風呂に一緒に入っていた。 そ …
母は箱入り娘【10】
2018年7月10日 (火)
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体が弱く細いが体操はたいがい出来た。特に走り幅跳びは得意だった。 佐渡全校の選手の競技会が年に一度、河原田の総合グランドで行われる。私が五年生の時に受持ちの先生が私をどうしても出したいと父に相談したが、体の弱い子をとんでもないと言って断ったとか。後で先生が、和子さんが行ってたら、一等取れたのに。と残念がっていた。 毎年の学期末の学芸会には必ず二つか三つ踊り、 …
母は箱入り娘【9】
2018年7月9日 (月)
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年に一回、文房具を担いで来る行商の、品の良いおじさんがいた。両津の山と言うお店のおじさん。母は欲しい物があると、その頃は電話がないから、手紙で注文してよく持って来てもらった。 お陰様で辺鄙ながらもあまり不自由していなかった。母は縫い物を頼まれて、着物、襦袢、帯などを縫っていたから、糸や針などを、そして私達の文房具などを注文していた。 母の縫い物の報酬は、 …
母は箱入り娘【8】
2018年7月8日 (日)
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作次郎家の後ろを通って行った処に五衞ムの蔵があった。ここに千秋さんはよく閉じ込められて、ワァワァ泣き叫ぶやら戸を叩く音が年がら年中繰り返し聞こえていた。 その度に母が詫びを入れて出してやった。 こんな悪ガキでも、他人には五衞ムのカンカン(坊っちゃん)、私達はビコヤン(お嬢さん)と呼ばれていた。 その時代、父親は決して子供と遊んだり、手をつないで歩くと言 …
母は箱入り娘【7】
2018年7月7日 (土)
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私達の住居の五衛ムには、おじいさんとおばさん、千秋さん、大分経ってから六つ違いの弟の勝男ちゃんが生まれた。 始めの間、一人っ子だった千秋さんのガキ大将振りは大変なものだった。 私より四歳年下で、それこそ着物の前をはだけて棒を振り回して遊びまわり、よくおばさんに叱られていた。 父親は庄屋の若旦那よろしく遊び人で家に時々帰って来るだけで、両津方面に二号 …
母は箱入り娘【6】
2018年7月6日 (金)
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月布施の入り口に小さい小川があった。海岸と河口の境のあたりに丁度お米の様な形をした真っ白い石(お米を一周り大きくしたような石)で、お釈迦様の石と言って父も50位拾ったのを机の引き出しの中にガラスの入れ物に入れてしまってあった。 あの石どうしたんだろう・・・と今も時々思う。 川を越すと精米所があり、4~5軒先に小路先生の家がある。石段を登って行った処に蔵が …
2018年7月17日 (火)
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